南トルキスタン?アフガニスタンの北部について

興味
Steve Evans from Bangalore, India, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

皆さんは「アフガニスタン」と言われて何を思い浮かべるでしょうか?
戦争やイスラーム過激派などのネガティブなイメージかも知れません。

旧ソ連に所属しておりロシア文化が根強い中央アジア諸国とアフガニスタンとでは、イスラーム度合いやその文化など、数多くの相違点があります。
しかしその一方で、両者は長い国境線で隣接していることもあり、古くからの文化的共通点もかなりたくさん持っています。

そんな「中央アジア」としてのアフガニスタンについて、ざっくりとした歴史と、トルキスタンとしての残り香を感じられる街をざっくりと紹介します。

アフガニスタンってどの地域の国?

日本において、アフガニスタンは中東として扱われています。
中東という名称自体は単なる地域概念なので、どこまでを含めるかについては諸説ありますが、地図を見てみると所謂「中東諸国」として語られるアラビア半島周辺の国々からは、やや離れていることが分かります。

Energy Information Administration, Public domain, via Wikimedia Commons

国土の西側こそイランと接していますが、北をトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンと、東と南をパキスタンと、北東のほんの一部を中国・新疆ウイグル自治区と接しており、アラビア半島を中心とする中東という括りで語ろうとすると、少々疑問が残ります。

What here area team, Public domain, via Wikimedia Commons

区分によっては、東南の隣人パキスタンとともに、南アジアに含まれることもあるようですが、インド・パキスタン・ネパール・バングラディシュなどと言った国々とアフガニスタンのイメージも異なるような気がします。

Afrogindahood, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

もちろん東の隣人である中国擁する我らが東アジア区分に入ることなどあり得ないでしょうし、今回のテーマである中央アジア区分にも入りません。

そんなこともあり、アフガニスタンはいずれの地域区分からも少しずつ離れている、ちょっと悲しい(?)国なのです。

アフガニスタンは、 日本が開国して間もない明治3年(1870年)に発行されたと思しき世界地図、「地学事始」にも「阿芙賀仁須丹(=アフガニスタン)」としてその存在が言及されているほど昔から独立した存在であり、北に存在する「とるきすたん」(現在の中央アジア諸国)とは以前から分かれていたようです。

そんな孤高のアフガニスタンですが、国の北部を中心に、今でも中央アジア文化圏を有している地域があり、そこはかつて「南トルキスタン」と呼ばれて中央アジア文化圏に属していたようです。

かつての南トルキスタン、現在の北部アフガニスタンについて

アフガニスタンという国名は、ペルシャ語で「アフガン人の土地」という意味とされています。

「~エスターン(-estān、ـستان)」で「~の土地、~が多い場所」などという意味となり、アフガニスタンだけでなく、隣接するトルクメニスタン、ウズベキスタンなど現在の中央アジア5ヶ国の国名も同様の意味となります。

「南トルキスタン」とは?

まず、「トルキスタン」とはペルシャ語で「トルコ人の土地」という意味となります。

現在の中央アジア5ヶ国と中国・新疆ウイグル自治区を合わせて、歴史的にトルコ系民族が多く住んできた土地がトルキスタンと呼ばれてきたようです。

CIA, Public domain, via Wikimedia Commons

アフガニスタンの国名が指すアフガン人とは、国内最大民族であるパシュトゥン人のことと同義とされています。(諸説あります)

さらに、パシュトゥン人はペルシャ系民族であるため、アフガニスタンはトルキスタンの区分に入らなかったことが分かります。

しかし、トルクメニスタンやウズベキスタンと国境を接する北部には、トルクメン人、ウズベク人といったトルコ系民族が多数在住しており、そのことからアフガニスタンの北部地域を「アフガン・トルキスタン」または「南トルキスタン」と呼ぶことがあるようです。

Agaceri, CC0, via Wikimedia Commons

かつて存在した「トルキスタン州」

アフガニスタンには2021年現在、合計34の州があります。しかし、1920年代時点ではたったの9州で区切られていたようで、そのうちのひとつとして「トルキスタン州(ペルシャ語:ولایت ترکستان‎、velāyat Turkestan)」があったそうです。

Koopinator, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

現在のウズベキスタンとトルクメニスタンに接するこの州は、ウズベク人などのトルコ系住民が多数派を占める州だったことが容易に想像できますが、1940年代に廃止されたようです。

かつて「トルキスタン州」だった街紹介

元々トルキスタン州だった土地は現在の自治体区分では5州にまたがって存在しており、当地はいずれもトルコ系民族が一定割合で居住しているようです。
そんな、中央アジアの香りを感じることができる北部アフガニスタンの都市を紹介します!

マザーリシャリーフ:ウズベキスタンさながらのブルーモスクが映える北部の大都市

ウズベキスタンが唯一接するバルフ州の州都であるマザーリシャリーフ(ペルシャ語:مزار شريف、ウズベク語:Mozori-Sharif)は、アフガニスタン有数の大都市で、人口第3位の都市のようです。

有名な観光名所はブルーモスクです。ウズベキスタンと接していることもあってか、サマルカンドのモスク達にも引けを取らない、圧倒される美しさです。

Sgt. Kimberly Lamb (U.S. Armed Forces), Public domain, via Wikimedia Commons

ウズベキスタン南の都市テルメズ(ウズベク語:Termiz)とは鉄道で繋がっており、物資の往来が盛んのようです。
これはさぞかしウズベク人の割合が多い都市なんだろうなあと思いつつ調べてみると、マザーリシャリーフ含むバルフ州の住民としてのウズベク人は2割弱と、以外に少数派。多数派はタジク人(4割強)とパシュトゥン人(4割)だそうです。

どうやらウズベキスタン側のテルメズにも多数のタジク人が住居しているようで、この辺り一帯が歴史的にはペルシャ(タジク)系文化が盛んだったことが想像できます。

de:Benutzer:Lechhansl, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
UMIT
UMIT

テルメズも中世の遺跡や建物が多いみたいなので是非とも行ってみたいものですね…

シェベルガーン:著名なウズベク人指導者を輩出したウズベク人の街

バルフ州の西隣に隣接するジョウズジャーン州はトルクメニスタン南部と接しており、同国からひたすら続くカラクムによって州の大半が荒地です。
州都であるシェベルガーン(ペルシャ語:شبرغان‎、ウズベク語:Shibirgʻon)は、トルクメニスタンがそうであるように、天然ガスで経済を回しています。

しかし、カーペットなどの織物が盛んだったり、かつてシルクロードで栄えていたり、近郊のティッラー・テペ(ペルシャ語:طلا تپه、ウズベク語:Tillatepa)では過去に数千点の金属装飾品が見つかるなど、古代からの文化都市だったようです。

PHGCOM, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

中央アジア的なトピックとしては、国内有数のウズベク人居住地帯ということが挙げられます。4割がウズベク人、3割がトルクメン人、2割弱がパシュトゥン人、1割強がタジク人、といった布陣で、完全にウズベク語、トルクメン語が優勢な形になっています。

そして、ここはアフガニスタン北部の有力なウズベク人政治家/軍人であるラシッド・ドスタム(ペルシャ語:عبدالرشید دوستم‎、ウズベク語:Abdul Rashid Doʻstum)の出身地です。

なお、そんなドスタム氏ですが、2021年8月の一連のターリバーン勢力の拡大を受けて、アフガニスタンに帰国したものの、その後のカーブル崩落を受けて国外退避をしたそうです。

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

ターリバーンが事実上アフガニスタンを掌握した今、彼の今後の動向からも目が離せません。

マイーマナ:アフガニスタンの小麦庫でウズベク人№1タウン

ジョウズジャーン州の西隣に隣接するファーリヤーブ州の州都であるマイーマナ(ペルシャ語:میمنه、ウズベク語:Maymana)は、アフガニスタンで最もウズベク人の比率が高い街で、人口の9割を占めるほどだとか。
これは殆どウズベキスタンと言っても過言ではありませんね!

PRT Meymaneh, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

なお、マイーマナ以外の街についても軒並みウズベク人とトルクメン人の割合が上位を占める州のようで、西北にはトルクメニスタンとの数少ない玄関口があります。

終わりに

南トルキスタンの地域概念と、現在のアフガニスタン北部都市についてざっくりと解説してみました!

今回は北部地域のみの解説となりましたが、これらのほかには中央部に位置する首都のカーブル(パシュトゥン人多数)や、西部に位置してイランと国境を接するヘラート(タジク人多数)などは、北部のマザーリシャリーフと並ぶ文化都市もあります。

アフガニスタンは、古代から様々な文明が衝突することで花開いた文化的都市だっただけに、現在もそれが裏目に出て紛争が終わらない情勢となっています。
現状のままでは、日本人として安心して旅行に行ける日がいつになったら来るのか、見当もつきません。

それでも、安全な都市・安全な時期を見計らって「旅のプロ」が観光している映像は2020年以降もYouTubeにアップロードされ続けています。

これらの映像を見ると、アフガニスタンがいかに観光資源に恵まれた国であるかを知ることができるとともに、いつか行ける日が来ることを願ってやみません。

日本には、アフガニスタン大使館お墨付きとの噂を持つアフガン料理店もあり、孤独のグルメでも取り上げられたこともあります。
アフガニスタンがいかに中央アジアと食文化を共有しているかを知るきっかけにもなりますし、機会があれば是非行ってみてください!


※追伸

2021年、アフガニスタンはここ数年間の中でも最も困難な状況にあるかもしれません。
どのような形であれ、アフガニスタンが良い方向へ向かうことを願っています。

アフガニスタンについて、インターネットで色々と調べてみてもらえると嬉しいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました