【トルコグルメ】イスタンブールの街角で、東トルコの逸品「ビュリヤン」に遭遇した話

アジアの西端とヨーロッパの東端に跨るトルコ共和国。
地理的にも離れている中央アジアとトルコは接点が無いように見えて、実はトルコ人は何世紀も前に中央アジアからアナトリア半島(今のトルコ共和国の位置)に西進してきたという歴史があるそうです。つまり、中央アジアとトルコはある意味でパラレルワールド…という訳でトルコについても少し触れてみようと思います。

イスタンブールの「ブルーモスク」ことスルタンアフメトモスクにて

先日、トルコ最大都市であるイスタンブールに行く機会がありました。東西交易の要所とはいえトルコの国土全体でみれば西の端っこ。隣接するブルガリアやギリシャには飛行機に1時間も乗れば到着してしまうようなヨーロッパ都市で、果たして中央アジアの名残を感じる食に出会えるか…と思っていたところ、イスタンブールの一角で見つけた「東トルコ通り」で肉&小麦な中央アジア的メシ(?)を見つけてしまいました・・・

ということで、トルコ滞在中に出会った東トルコ料理・ビュリヤンについて紹介します!
※当記事の情報は2023年当時のものです。トルコリラ=円換算は目安です

イスタンブールの“東トルコ通り“について

先ずは、「東トルコとは何ぞや?」について簡単に説明します。
トルコには日本の都道府県に相当する81の県と、○○地方に相当する7つの地方区分があります。この記事で私が「東トルコ」と言うときは、この地方区分のうちの東アナトリア地方(Doğu Anadolu Bölgesi)南東アナトリア地方(Güneydoğu Anadolu Bölgesi)のことを指しています。

画像の緑色が東アナトリア地方、赤色が東南アナトリア地方。北西の青色がイスタンブールも含むマルマラ地方

ブルガリアやギリシャといったヨーロッパの国と隣接する西トルコ(イスタンブール側)と打って変わって、東側はシリア・イラク・イラン・アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージアと国境を接する、なかなかディープな地域。
中東やコーカサス地方の国と国境を接しているので、西側とは異なる独自の食文化を持っていそうだし、何よりも今のトルコ人が中央アジアから西進するときのルートになったはずなので、一般的に日本で知られるトルコ料理に比べて彼らのルーツが垣間見れるかもしれない。そんなことを考えてイスタンブールの東トルコ通りに行ってみたのでした。

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ちなみに「東トルコ通り」というのは私が勝手にそう呼んでいるだけで、日本における三大中華街みたいに明確な区分けがあったり観光地になってたりするわけではありませんので、悪しからず!

東トルコ通りに行くには、先ずはイスタンブールのヨーロッパ側、ファティヒ地区の一角にヴァレンス水道橋(Valens Su Kemeri)という、ローマ帝国時代(!)の水道橋の遺構の近辺へ行きます。

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ヴァレンス水道橋のトルコ語での別名は「ボズドアン・ケメリ(Bozdoğan Kemeri)」といい、これは「灰色鷲のアーチ」を意味するようです

水道橋の北側に行くにつれて、東トルコ各地の地名が表示された食肉や食材点が現れだして、やがてそれらが所狭しと並ぶ一角に到着します。

イスタンブール自体はヨーロッパも近いし一大観光地ということもあって超国際都市の様相を呈してますが、この一角は女性も真っ黒な衣服をすっぽり被る方も多く、保守的なエリアであることを感じることができます。

そんな肉とスパイスの匂いが漂う地区の一角に、今回の主役のお店があります。

東トルコ街のスィイルト料理レストランについて

そのレストランは名前をSiirt Erçelik Büryan Kebap(スィイルト・エルチェリク・ビュリヤン・ケバプ)と言い、名前から「スィイルト県の料理を出す」ことと、「ビュリヤンなるケバブが看板メニューである」ことが分かります。

ちなみにスィイルト(トルコ語:Siirt、クルド語:Sêrtê、سێرت)とはトルコの南東アナトリア地方に位置する県で、都市としての規模はあまり大きくないようですが、かのエルドアン・トルコ大統領のかつての選挙区だったとか…
地理的にはシリアやイラクに近く、なおかつクルド人も多数居住する都市のようで、そのあたりの文化的ミックスもありそうです。

Dûrzan Cîrano, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

イスタンブールのレストランに話を戻すと、お店自体は道路に面しておりテラス席もあれば店内席も外から良く見えるレイアウトで入りやすいと思います。通りには他の飲食店も多く賑わっています。やや保守的な地区といっても、旅行者がふらっと歩いていてもジロジロ見られるなどの閉鎖的な雰囲気は特に感じませんでした。

お店に入るときに最初に話しかけた若い店員さんはトルコ語しか話さない雰囲気でしたが、リーダーと思しき年配の男性店員さんが英語でやり取りできそうな感じでした。

さて、初めてとなれば頼むのはただひとつ、店名にもなっているスィイルト名物ビュリヤン一択ですね。お店の入り口を見ると、焼けた羊?がワイルドに吊るしてあります。ここから肉をそぎ落として提供するのでしょうか。俄然期待が高まります。

飲み物としてお水をオーダーすると、ペットボトルの水とサラダ、赤いシャバシャバしたものが来ました。

サラダはトマトとレタスのシンプルなもの。特に味が付いてなく、付け合わせのレモンとテーブル塩で味を調えるタイプです。

そして赤いシャバシャバの何かは生野菜を刻んだもので、お味は苦くてピリ辛!単体でパクパク食べるようなモノではないように感じました。
この時は知りませんでしたが、後で調べたところアジュル・エズメ(Acılı ezme)と呼ばれる前菜の一種で、トマト、ピーマン、ニンニク、タマネギ、パセリ、レモン汁、オリーブオイル、赤唐辛子、塩、、、などなどを混ぜて作るトルコの前菜の一種のようです。南部の大都市アダナ県(Adana)を中心にトルコ全土でポピュラーな一皿のようです。

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ちなみに、トルコ語でアジュル(Acılı)は「苦い」とか「辛い」、エズメ(Ezme)は「すり潰すこと」すなわちペーストを表すようです

それにしてもこのアジュル・エズメ、結局どうやって味わうのが正解なのか分からず…あのシンプルなサラダのドレッシングではないように思うし、この後に出てくるパンや肉にディップするもの…?なんて思っているうちに、真打たるビュリアンとご対面です。

ビュリヤン・ケバブについて

到着したビュリヤン(Büryan)は期待を裏切らない「これぞトルコ!」な肉料理。羊肉の角切りをパンに載せてサーブされましたが、この肉が適度に柔らかくて塩気が効いていてメチャ美味い。パンに挟んで食べると最高です。


このパンも、トルコでよく見るフランスパン的な見た目のパンとも、ケバブを巻くのに使うクレープみたいな薄パンとも異なり、所謂イランやインドのナンに近い形をしています。この形も何だか東トルコというか中央アジア味を感じます。(知りませんが)
パンをお肉のお皿替わりにする感じもなんとなーく遊牧民の名残?考えすぎ?

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このようなパンはトルコではピデ(Pide)と呼ぶみたいです

このビュリヤン、スィイルト県を始め、そのお隣のビトリス県(トルコ語:Bitlis、クルド語:Bedlîs、بدلیس)などでも名物料理だそうで、内臓を除いた羊を丸ごとフックに吊るして数メートルの深さの穴に吊るして熱する料理なんだそうな。

入店時に確認した、羊たちが吊るされるお店の一角を見ると、その下は確かに窯になっており、仕込みの時はこの窯の中に羊を吊るしてじっくり焼き上げるんだろうなと予想。

この時は不在でしたが、こちらの窯の前におじさんが常駐してて、注文後に肉を削ぎ落してくれます

ちなみにビュリヤン名前の由来は「揚げてから調理する」ことを表すペルシャ語のベリヤーン(بریان)という単語から来ているそうな。ちなみにインド・パキスタンの炊き込みご飯として有名なビリヤニも一説によると同じ語源なのでは、という話があるらしいです。同じ言葉から派生した料理が、お互い全然違う土地で全然違う形態で食べられているなんて、なんだかワクワクが止まりませんね!

まとめ(価格など)

このお店ではビュリヤン・ケバブにお水を付けて合計160リラ(約900円弱)。パン・サラダ・付け合わせの辛い何かは含んだ値段です。
日本では無料で提供されるお水も、トルコでは150~160円くらい出して買わなければいけないところが世知辛いですが、それにしてもこの程度の価格で付け合わせ含めた東トルコセットをいただけて大変満足でした。

チャイもいただきました

トルコ料理と言えばドネルケバブ(棒に肉を刺して回してるアレ)が大変有名ですが、それ以外があまり有名では無いような気がします。しかしながら、実は専門店出現待ったなしレベルの激ウマグルメの宝庫(主観です)なので、ビュリヤンが日本でいただける日が一日でも早く訪れることを祈ってまる。

普段なかなかいただく機会の無いトルコの東側の料理、皆さんもイスタンブールに行かれた時にはドネルケバブやサバサンドの合間にビュリヤンにトライしてみてはいかがでしょうか!

東トルコ通りはなんとも贖い難い魅力を感じる一角でした

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