カザフスタンの首都・ヌルスルタン~名前の由来・日本との関係など

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Jirka Dl, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

中央アジアの大国・カザフスタンの首都は、その名前をヌルスルタンと言います。
実はこの名前、初代大統領のファーストネームから来ており、2019年の退任の際にその功績を称え、それまでの名称であるアスタナから変更されたものです。

そんなヌルスルタンですが、首都の成り立ちに日本人が関わっていることでも知られています。

日本とはあまり縁が無さそうに思えるカザフスタンにおいて、日本とのどのような関りを持っているのか、更に首都名変更について現地の人はどう思っているのか、色々と気になったので調べてみました!

カザフスタンの首都ヌルスルタンと日本の関係とは?

ヌルスルタン(Нұр-Сұлтан)は、カザフスタンのやや北よりの中央部に位置する首都で、世界で最も寒い首都のうちのひとつに含まれるほど極寒の地とされています。

世界で最も寒い首都はどこですか?
世界で最も寒い首都と他のどの首都が近づいているかを調べてください。ヒント:北米ではありません。

そんなヌルスルタン、少しでもネットで調べてみると、近未来というか、奇抜というか、言葉選びに苦労する建築物のオンパレードであることが分かります。
百聞は一見に如かず、カザフスタンの在日本大使館が作成した30秒動画で確認可能なので、気になる方は見てみてください!

なかなかダイナミックな建築物が多いですが、実はこれらを含む都市計画は、日本の著名な建築家、故・黒川紀章氏によるものです。

黒川紀章氏と言えば、銀座にある中銀カプセルタワービルのようななかなか攻めた建物を70年代に建築してきた、かなりの未来志向を持った建築家、というイメージがあります。

未来都市として形容されることも多いヌルスルタンは、既存の常識や都市計画にとらわれない黒川氏の感性と、これから首都を制定する若い国家カザフスタンの柔軟さが見事に合致した例かも知れません。

同じ日本人としては嬉しい話ですね!

実は以前は首都じゃなかった?首都の変容について

カザフスタンがソビエト連邦から独立国となったのは1991年で、国としての歴史は30年ほどとなります。
そして、独立当時の首都はヌルスルタンではなく、アルマティ(Алматы)という都市でした。

TUBS, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

しかし、カザフスタンの広い国土においてアルマティが南部に偏っていたり、中国やキルギスタン国境に近いことが懸念され、独立6年後の1997年末に中央北部のヌルスルタン(当時はアクモラ)へ首都が移転された、という経緯があります。
(他にもアルマティは山岳地帯に近く自身が発生するなどの理由もあり)

ただ、上記はあくまでも表向きの理由で、実際はカザフ系住民を住まわせることで、北部に集中していたロシア系住民の人口比率を減らしていくことが狙いとされているような論調の記事もネット上に多く見られました。
信じるか信じないかは貴方次第ですね…

TUBS, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

実際に首都になってから10年以上が経ってみると、ソ連末期には人口の半数以上を占めていたロシア系住民が、2020年時点では1割ほどになっています(カザフ系は8割)。
色んな要素が重なっての数字ですが、やはり一国の首都になったことによる人口流入(主にカザフ系)が大きいのでしょう。上記の狙いが本当だとしたら、目的は達成されたことになりますね…

Sibom, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ヌルスルタンの名前の由来・経緯と首都の名称変移について

冒頭で述べた通り「ヌルスルタン」という名称は、カザフスタンの独立以降2019年までの30年近くにわたって国を統治してきた初代大統領であるヌルスルタン・ナザフバエフ氏(Нұрсұлтан Назарбаев)から取られています。

その後、ナザフバエフ氏の引退を受けて、後任となった2代目大統領のカスィム=ジョマルト・トカエフ氏(Қасым-Жомарт Тоқаев)が初代大統領の功労を称える形で首都名称変更を決定したそうです。
なんというか、日本だとなかなか考えられないダイナミックな案件ですね。

ちなみに、この地は以前より名称が頻繁に変わっていたようで、ここに最初に街ができた当初はロシア語風のアクモリンスク(Ақмолинск)という名称でした。

それから、1960年代にロシア語で「処女地の街」を意味するツェリノグラード(Целиноград)に改名され、カザフスタン独立後にアクモリンスク以前の元々の名称とされるアクモラ(Ақмола)に改名。

その後、新首都に決定するに伴い、1998年にその名もずばり「首都」を意味するアスタナ(Астана)に変更。
この名称、由来はシンプルですがそれだけに覚えやすく、外国人としても親しみやすい印象があり、未だにカザフスタンと言えばアスタナ!という印象が残っています。

その後2019年に上述の通りの経緯を経てヌルスルタンに変わるわけですが、1世紀の間に5回も名前が変わった街もそうそう見つからないでしょう。

Алексей Тараканов, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

日本の首都・東京も「東の首都」と言うようなシンプルな由来の名前ですが(そういえば日本も首都移転を経験していますね)、東京がある日を境に初代総理大臣から名前を取って「博文」となることを想像すると、この名称変更の決定における絶対的な政治のパワーを感じます…

ちなみに、「ヌルスルタン」そのものの意味ですが、「ヌル」というのはアラビア語由来で「光」を指す言葉です。
カザフ人に限らずペルシャ系、トルコ系、アラブ系の人々の名称で時たま見かけるように思います。

そして「スルタン」とは、これまたアラビア語由来で「権力者」などを意味します。
所謂、王様のこととして使われることも多く、中東のオマーンや東南アジアのブルネイは今でもスルタンが国王として国を統治するシステムのようです。

sam garza from Los Angeles, USA, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

「ヌルスルタン」はあくまでも個人名から取られましたが、それを考慮せずにあくまでも言葉の意味だけで考えると、まあまあ縁起の良い名称だとは思います!

カザフスタンの人は首都名変更の決定にどう思っているのか?

変更の由来やその経緯を見ると、賛否両論と言うよりも「否」の方が多そうな気がしてきますが、ネットで調べると批判的なコメントは色々と見つかりますし、実際に名称変更前のヌルスルタンでは住民によるデモも発生したそうです。
(それでも名称は変わりましたが…)

私が個人的に連絡を取っていたカザフスタン人数名に聞いてみましたが、やはりこの政府の決定には少なからず抵抗があったようで、質問をさせていただいた方はいずれもヌルスルタンとは呼ばずにアスタナと呼んでいました。

この決定自体は特に民意を問うことなく政府主導で決められたようで、それについても不快感を表していましたが、仮に民意を問うた場合、否決されることは明白でしょうね…

Ken and Nyetta, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

若い方であれば特に違和感なくこの名称が受け入れられると思われますが、ある程度の年齢(名称変更前から社会人をやっているくらい)に達している方は今後もアスタナの名称を利用して会話した方が良さそうです。

終わりに

以上、カザフスタンの首都・ヌルスルタンについて、首都移転や名称変更の理由とその遍歴、日本との関わりやカザフスタンの人が名称変更をどう捉えているかについて記載してみました。

名称変更から数年、ヌルスルタンを語る際に「元アスタナ」という注意書きが付かないことが増えた気がしますが、同時に現地ではアスタナという名称も根強く生き続ける予感がします。

ヌルスルタンと言う都市の今後から目が離せませんね!

ちなみに、2019年時点ではヌルスルタンは日本から直行便で繋がっているカザフスタン唯一の都市です。コロナが明けたら是非行ってみたい注目都市ですね!!

それでは!!!

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