ウズベキスタンの中に「カラカルパクスタン共和国」という国があることをご存知でしょうか?
私はウズベキスタンのサマルカンドに滞在中、カラカルパクスタンの出身だと言う青年に話しかけられる機会がありました。
「国の中の国がある」という制度は私たち日本人からするとなかなか理解しにくいので、帰国後にこの国のことについて調べてみました。
カラカルパクスタンの属性や、そこに住むカラカルパク人、代表的な街について記載していきます!
カラカルパクスタン共和国について
カラカルパクスタン共和国(ウズベク語:Qoraqalpogʻiston Respublikasi、カラカルパク語:Qaraqalpaqstan Respublikası)というのはウズベキスタン国内の自治共和国のことで、ウズベキスタンからすると一種の自治体区分にあたります。
中国国内に新疆ウイグル自治区があったり、ロシア国内にタタールスタン共和国があるようなものですね!
カラカルパクスタンはウズベキスタンの西側3分の1を占めており、同国内の自治体トップの面積を誇ります。
なんとなく、中国で最大の面積を誇るのが同じく西端を占める新疆ウイグル自治区だったり、ロシアで最大の面積を誇るのが極東のサハ共和国だったりすることを思い出させます。
辺境の土地は区画が大きくなりがちなので、中央政府が直接管理するのは難しいのかもしれませんね。
さらに、中国の新疆では中国語とウイグル語が公用語となっていたり、ロシアのタタールスタンではロシア語とタタール語が公用語になっているのと同じく、カラカルパクスタン共和国でもウズベク語のほかにカラカルパク語が公用語と定められています。
なお、共和国の構成主体となっているカラカルパク人は、ウズベキスタン全体でみると2%ほどを占めるのみですが、ここカラカルパクスタンに限れば30%ほどの住民がカラカルパク人のようです。
その他はウズベク人30%強、カザフ人30%弱です。
そして、カラカルパクスタンを語る際に避けては通れない有名な出来事と言えば、20世紀最大の環境破壊と称されるアラル海の消滅危機事件です。
このアラル海という湖は、もともとは世界第4位の面積を誇る湖で、カラカルパクスタンのかなりの面積を占めていましたが、ソ連政府の強引な灌漑で水が枯渇してしまい、かつての20分の1ほどに減少してしまったという事件です。
そのせいで、当共和国内では産業の消滅、健康被害等、深刻な被害に悩まされています。
現在は、関係諸国の協力で少しずつアラル海復活プロジェクトが成果を上げてきているようですが、アラル海の壮大な環境破壊と現状について、興味がある方はネットで検索してみてもらえると嬉しいです。
カラカルパク人とカラカルパク語について
カラカルパクスタン共和国の名前の由来は、共和国の構成主体であるカラカルパク人の名称に、ペルシャ語で「~の土地、~が多い場所」を意味する「~エスターン(-estān、ـستان)」をくっつけた形です。
その名の通り、カラカルパク人を主体とする民族共和国です。
ウズベキスタンも「ウズベク人の土地」という意味なんですね。
そしてカラカルパク人の名前の由来は、当地の言葉で「黒い(ウズベク語で”qora”)」「帽子(同”qalpoq”)」から来ているという説が有力だそうです。
この「カルパック帽子」はキルギス人がよく被っているものですが、なかなかおしゃれなデザインで、なんか、土産物屋に置いてあったらつい買ってしまいそうです。
なお、2021年7月に開催された東京オリンピックの開会式でキルギスタンの旗手が話題になりましたが、その彼が被っていた帽子もカルパック帽子です。
そして、彼らが話すカラカルパク語ですが、カラカルパクスタンの周辺諸国(ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン)の言葉と同様にトルコ系の言葉です。
ただ、行政主体であるウズベキスタンのウズベク語よりも、お隣のカザフスタンのカザフ語の方に似ています。
これは、並べてみると一目瞭然です。
日本語例文
- 私は カラカルパク語を 学んで いるところです
ウズベク語
- Men Qoraqalpoqcha o’rganyapman.
カラカルパク語
- Men Qalaqalpaqsha úyrenip atırman.
カザフ語
- Men Qalaqalpaqşa üirenıp otyrmyn.
発音や読み方が分からないという方でも、ウズベク語-カラカルパク語よりも、カラカルパク語-カザフ語が似ていることが、なんとなく見て取れるような気がしませんか?
彼らはカザフ人と共通の子孫を持つものと考えられていたようで、それが故にウズベク人に同化することなく、現在につながる彼ら独自の自治共和国を持てたのかも知れませんね。
カラカルパクスタンの主要都市について
カラカルパクスタンには、中世にシルクロードで栄えた都市は無く、基本的には地域集落や漁村があるばかりでした。
都市として発展したのはソ連成立後の近代に入ってからです。
現代の観光では、アラル海を目的とした訪問がメインで、それらが組み込まれたツアーも多数あります。
共和国の首都・ヌクス
カラカルパクスタンの首都であるヌクス(ウズベク語:Nukus、カラカルパク語:Nókis、カザフ語:Нүкіс)はウズベキスタンの都市の中でも最も西に位置しています。
東側に都市部が集中しているウズベキスタンにあって、ヌクスは国内でも5番目の人口規模の都市であり、2018年時点の人口は30万人を超えるようです。
※三重県四日市市と同程度の人口規模
また、ヌクスを代表する観光地として、カラカルパクスタン共和国国立美術館(ウズベク語:Qoraqalpogʻiston davlat sanʼat muzeyi)があります。
ここには中央アジアの芸術や前衛芸術などの、かつては反ロシア的とみなされた歴史的価値のある美術品が多数展示されているようで、なんでも1930年代のスターリン時代に芸術弾圧の嵐が吹き荒れた際、「辺境の地であったために」美術品の破棄や収集家の処分と言った受難を逃れることができたようです。
ヌクスの街自体は首都よろしく、首都タシケントやロシアのモスクワと繋がる空港もあり、アラル海観光の玄関口にもなっています。
アラル海近くの街・モイナク
共和国北部に位置するモイナク(ウズベク語:Moʻynoq、カラカルパク語、カザフ語:Moynaq)はアラル海の畔に位置し、ウズベキスタン国内唯一の港湾都市として栄えたそうです。
※ウズベキスタンは二重内陸国として海が無く、アラル海はかつて世界第4位の規模を誇る大きさの湖として漁業が盛んだった
しかしながら、アラル海の縮小によって産業が破壊され地域経済が崩壊、さらに環境破壊によって住居環境までが悪化するという、二重の苦しみを味わうこととなってしまいました。
アラル海の縮小のピーク時は一晩で湖岸線が数十メートルも遠のいた(!)そうで、あまりの縮小スピードの速さに漁船が置き去りにされ、砂漠のど真ん中に朽ち果てた船がいくつも転がっているという不思議な光景を生んでいます。
見渡す限り何もない地平線が広がる砂漠が、実はほんの数十年前は水の底だったと思うと、何とも言えない気持ちになります。
皮肉にも、これが「船の墓場」として有名になり、このためにこの街に旅人が訪れる事態になっています。
この街を訪れることで、環境破壊について改めて意識する良いきっかけになるかもしれません。
なお、この街には今もなお沢山の住民が現在進行形で生活しており、「船の墓場」という言葉だけが独り歩きしないよう気を付けたいものです。
終わりに
ウズベキスタン国内に存在するカラカルパクスタン共和国についてまとめてみました。
- ウズベキスタンの自治区分のひとつであるが、カラカルパク人が3割を占め、カラカルパク語が公用語
- 首都はヌクスでウズベキスタン国内5番目の人口規模都市
- 北部のモイナクはアラル海観光の街でかつて湖底だった砂漠を体験できる
ウズベキスタン観光地としてはサマルカンドやブハラの陰に隠れてなかなか目立ちませんが、時間が許せば是非行ってみたいところです!
なお、冒頭でも触れた、私がサマルカンドでカラカルパクスタン出身の青年に話しかけられた件については、機会があれば是非書いてみたいと思います。
それでは!!
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